どうしても今月中に…(追記あり)

2018年03月05日

ありがとう、またね。

インスタグラムに移行して以来、久々のブログ更新です。
もうすっかり操作の仕方を忘れていて、文字の大きさ設定一つをとっても、昔はどうしてたっけ状態。
まぁいいか。と、とにかく「記す」事に重点を置いて、手探りでタイピングなうでございます。

タイトルで察して下さった方もおられるかもしれませんが、楽しい記事ではありません。
少なからず応援して下さった方々との接点だったこのブログで、いつかは書かなければいけないこと。
私個人、楽しくない犬の話題はもうお腹イッパイ状態でできれば見たくない派なので、私と同じような方は、ここまでにして下さいね。
(一応コメントは書き込めますが、お返事できるかわからないので、非公開のままにしておきます。
管理人が公開設定に切り替えない限り、コメント数は0のままなので書き込み完了したか分かりにくくて申し訳ないですが・・・)

でも、思い入れの深いこのブログを、この記事で最後にしたくない。
いつになるかはわかりませんが(また数年単位!?笑)、この次は楽しい記事を上げたいと思います。

必ずや。






上にも書いた通り、私個人が“楽しくない犬の話題”に心を痛めるのに疲れて、なるべく触れたくないと思っているので、インスタではまだ公表していません。するかどうかもわかりません。
少なくとも当分、メインアカウントではしないと思います。(詳細を公開するとしたらサブアカの方で?いやそれもないかな~・・・。)

でも、そのことによって何だか、“意識的に避けている”ような錯覚に陥り、向き合えていたものが少しずつ向き合えなくなるような?ちょっとした危機感もほんのり出てきているのと、何より、当時ブログを読んで下さっていた方に向けてこのブログでご報告するのは、私が取れる最低限の責任である気がしたので、ここに戻ってきました。
あの子どうなったかな、元気にしてるかな。って、私なら思うから。


ウィンク。
今はまだ、この名を打つだけで涙がこみ上げてきます。
どれほど「悔いはない」と思っていても、やっぱりそんな単純なものでもない。

みなさんに愛された(と言わせて下さい)ウィンクですが、ちょうど半年前の今日、この世を去りました。16歳2ヶ月でした。

以前、定期検査で腎数値の上昇がみられて以来、療法食に切り替え、早めの対処として自宅での軽度な皮下点滴を開始した他、多少の持病はありましたが、6月に16歳のお誕生日を迎えた時も大きな問題はなく、“うちの子史上・最高齢記録”をゆうに更新するだろうと信じて疑わないほど、その若々しさが本当に自慢でした。(何せ歯が全部揃っていたし、白内障も完熟まではいかず、白髪も元の毛色が薄いから目立たないしね。)
18歳、いや19歳?20歳も夢じゃないかも。18~19になればさすがに老犬老犬した見た目になってくるのかな~なんて、本気で楽しみにしていたほどです。

しかし、16歳3か月を目前に、事態は急転。
あまり元気がないと家族から連絡を受け、帰宅して見ると、あれっちょっと呼吸もしんどそう・・・
それが1日の内にみるみる顕著になり、受診した結果、診断は肺炎でした。

いくら見た目が若々しくても、実年齢は立派な老犬。下り坂にさしかかったのなら、踏ん張りが効かずに踏みとどまれなくても不思議はありません。
そういう意味で獣医師に確認すると、割とあっさり、「治る病気」だと言われました。
高齢かつ重症の子では1~2割程度助からない子もいるが、この子の状態はそうではない、と。
しかし・・・
早速ICUで酸素吸入をはじめとする点滴治療を開始するも、入院二日目の夜に発作を起こし・・・
ウィンクは早々に旅立ってしまいました。

確かに初日の治療では、効果が見て取れていた。
ただ、その後の検査では抗生剤が奏功していないことが解り、抗生剤の変更をはじめとして、先生方も色々手を尽くしてくれていた中、一度目の発作は起こりました。

自発呼吸停止。
過去の経験上、幾度となく目にしてきた「その瞬間」。
まさかその瞬間が、こんなに、こんなに早く来てしまうものかと呆然とする他ありませんでした。

「一度目」の発作、と書いたように、その時は的確な救命措置のおかげで、何とか一命を取りとめることができました。
私の目から見ればそれは「奇跡的に」と言いたくなる出来事でしたが、獣医師の手腕に他ならず、後になってやっと思い至って感謝の念が湧いてきました。

初めに聞いた「治る病気」という獣医師の言葉をお守りのように思いながらも目に見える症状に着地点が見い出せず、ずっと半信半疑だった私の心は、この発作を目の当たりにして、一気に暗雲に飲み込まれ、もはや「この後訪れる現実」から目を背けるわけにいかなくなりました。
来るべき時がそこまで迫っている。
この後、何が起きてももう、一度目の発作の時のような「予期せぬ事態」ではなくなったのだから、予期し、向き合わねばなりません。

「私が決める事」だと思った。

この時点でも、獣医師に「覚悟して下さい」等と言われたわけではありません。
しかし遅かれ早かれ、きっとこの後再び必要になるであろう蘇生。
その時、何を望むのか。
思考はブレず、私が決める事だ、とハッキリ自覚していた。

私の決断は早かったと思います。
「もう、蘇生は望まない」。

正しい選択だったかはわかりません。
でも、懸命に何とか助けようと取り組んでくれている若い獣医さんに、「次にまた同じことが起こったら、蘇生や延命はもう望まない」と告げたあと、本当に後悔しないかと念を押されても、私の想いが揺らぐ事はありませんでした。

あきらめたと言えばそうなのだと思います。
でも、いかないで、戻ってきて、とは思いませんでした。
それは、過去に見送ってきた我が子たちが教えてくれたこと。
あとどのくらい頑張れば抜け出せるかもわからない暗闇の中で、あの子たちみたいに、あんな風にはもう、闘わせたくなかった。

全ての子に当てはまるとは思いません。
もちろん、たとえ同じ状況であっても、全ての人に当てはまるとも思いません。
自分の考えを押し付けたいわけでも、誰かを否定したいわけでもなく、「私の選択」というだけ。

このブログでも、何度も盗み食い事件を書くことになったあの食いしん坊が、前日には缶詰も、ご馳走であるはずのお肉すらも摂らなくなっていました。
純血種として人為的に作られた短く捻じれた腕であるがゆえに、普通に巻いただけではすぐ点滴が止まってしまうので工夫して、やむなく片腕だけ不自然な形(腋を閉じないように、肘は畳めないように)に固定していました。
そして酸素濃度を高めたICU内ですら息苦しそうで、改善の見えない呼吸状態。

もう充分がんばったのです。
それでも一度は戻ってくれた。私に時間を与えてくれた。それすらも頑張りすぎたほど、本当にもう充分でした。


「予期」していた二度目の発作が起きた時、今度こそ来るべき時が来たと、酸素吸入も点滴ももう終わりにして、不自然な固定具を外し、覚悟をもって、私の膝の上、腕の中に移動させました。
甘えたのくせに、元々抱っこはそんなに好きじゃなかったけどね。

そしてその「覚悟」が現実のものとなりました。

立ち会ってくれた友人には、決して綺麗とは言えない最期のその時までまざまざと見せつけてしまったけれど、共に涙してくれたこと、夜遅くまで寄り添ってくれたこと、心から感謝しています。

壮絶、という風に映るでしょうか。でも闘病と呼ぶにはあまりにもあっけないものでした。
だからこそ、受け入れられずに胸を押しつぶされる人もいるのでしょうが、苦しみが長引くよりはずっといい。
多分、優しい愛犬家の方々が想像されるよりはるかに、私は元気です。
語弊がありますが、悲しくはないのです。
ただただ、たださみしいだけ。
12年前、初めて愛犬を亡くす痛みを知って以来、幾多の、それはそれは数えきれない程の誤り、過ちを犯しながら今日まで来た私が、私なりに、「今までで、一番後悔のない選択、看取りであった」とハッキリ言えるから。
ああそうか、悲しくない、のではなくて、「だから落ち込んでいない」の方が近いのかな。

ウィンクに関しても自分を責めようと思えば、いくらでも身に覚えはあります。
(一度はここに羅列しましたが、それも消しました。)
でも、闘病「させてしまった」あの子のように、思い出す度にごめんね、ごめんねって謝ってばかりになるよりも、最期まで親孝行のいい子だったこと、看取らせてくれたこと、本当に可愛かったこと、みんなを好きで、みんなに愛されていたこと、本当に本当によく頑張ったこと、それをほめてあげたい。可愛いとか、大好きとかで胸を埋め尽くしたい。

犬バカ、犬キチを自称して長い私にとっても、ウィンクは特別な子でした。
以前にも書きましたが、里親募集と銘打って色んな人の色んな思いや優しさを踏みにじってかき回しておいて、結局そばに置くと決めた子です。
ウィンちゃんをと望んで下さり、犬と暮らすための最適な住まいに移って下さった方や、遠く熊本からお声をいただいたこともありました。ゴチャゴチャと細かい事前調査アンケートを送って下さった方、実際面会にわざわざ来て下さった方・・・。
ありがたさと申し訳なさでいっぱいなことに今もこれからも変わりはないのですが、ウィンちゃん、うちの子でまぁまぁしあわせだったと思います。
そう言えるのも、ひとえにウィンちゃんの性格の良さのおかげでしかないのですが、後悔ばかりが山積する私の犬遍歴の中で、こんな風に思えたのはウィンちゃんが初めてです。
のんびりおっとりと穏やかな子で、ボーッとドンくさい私との相性も良かったんだと思います。思えば思うほど、愛おしい子です。

いま、唯一悔いているとすれば、こんなに可愛い子のことを、どれほど可愛いのか、自慢していなかったことです。
もっとのろければ良かったな。誰かに呆れられても、隠す必要も、恥じる必要もきっとないんだ。

本当に、こんなにかわいくていい子のダックスはそうそういないと思います。
「ダックスを飼っています」なんて言う日がくるなんて夢にも思わなかった私に、何故日本にこんなにダックスが多いのか、ダックスのその可愛さをこれでもかと教えてくれたウィンちゃん。
だからこそ、私が再びダックスと暮らす日はもう来ないかもしれません。だって、最高峰を初めに知っちゃったからね。

ウィンク、享年16歳2ヶ月。

こんなに甘えたで人好きな子が、「その他大勢」、「大多数の中の一頭」のままで良いわけがなかったね。
ダックスブームのさ中、無理な繁殖で右眼を持たずに繁殖場で生まれ、店頭で売れ残り、原因不明の血便を繰り返しながら繁殖犬としての犬生を余儀なくされた日々。
我が家で過ごした日々が、ようやくその年数を上回ったことは、ほんの少しの救いです。

ウィンちゃん、ありがとう。大好きです。
もう犬になんて生まれたくないかも知れないけど、こう言わせてください。
またね。




愛しのウィンク






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